波の始まりとアポフェニア
第一部:re-habilis
Auwa, beginning of the wave and apophenia
Part I:re-habilis
Variable size
2024
(Exhibition at HIRO GALLERY IZUOKAWA)
サイズ可変
2024年
(ヒロ画廊伊豆大川での展示)
人々はなぜ文字をもつことになったのだろうか。
あるいはなぜ文字をもたなければならなかったのだろうか。
日本に文字が伝わったのはちょうど縄文時代から弥生時代に移行する紀元3世紀頃、遅くとも紀元後1世紀頃だとされている。縄文時代には大きな争いの形跡もなく、とても平和で安定した時代が15,000年以上も続いた。国をつくるという支配体制が生まれて部族間の争いの形跡がみられるようになったのは弥生時代あたりからだという。文字の出現は、クニ(都市や帝国)の出現と形成、人々を束ねる階級への位付け、人間の搾取に便宜を与えたようにもみえる。その劇的な変化の背景には何があったのだろうか。
私は、そんな素朴な疑問に向き合うべく、「⾵景を“⾒る”という⾏為は⽂字のもつ呪術性を解き放つ」という仮説をたて、地形の成り⽴ちや地名との関係性、各地に残る遺跡や社寺、史跡、動植物の生態系、神話や伝承、その土地の口伝等を⼿掛かりに、自ら歩き、自らの目で見て、観察し、考察する。そして手を動かし、なんらかの「かたち」をつくる。その「かたち」は、その時点におけるわたしの「仮説」と言えるかもしれないし、「作品」とよばれるものなのかもしれない。
展覧会のタイトルにある「アポフェニア」は、無作為な情報の中から規則性や関連性を見出す知覚作用を意味し、「波の始まり」は物事の始まりを示唆する。
第一部の「re-habilis」では、昨年2023年に私が神山アーティスト・イン・レジデンスの招聘作家に選ばれ、徳島県の神山町にて約3ヶ月の間、剣山系の山々の踏査と滞在制作を通じて自分自身が変容していった経験を主軸に組み立てられている。記紀神話における天岩戸の段、阿波に残る記紀神話にも関連するいくつかの伝承を参照しつつ、滞在制作における自身の変容の経験を重ね合わせ、見る・観察することを通して「re-habilis」(自分らしく生きる、(人が)再び適した状態になる)ことの可能性について考察する。
作品は、かつて保養所として利用されていた建物がギャラリーとして転用された空間の特徴を活かしながら、映像や構造物、石や植物、布、鹿の骨、日用品などを織り交ぜながら構成されている。神話やこの地の伝承に残る様々なエピソードを想起させ、重ね合わせ、再構成したようなある種の「仮説」、あるいは私が各地を訪ねて歩き、観察し、学び、手を動かした痕跡を追体験できるような舞台装置と言ってもいいかもしれない。
How did people begin to have writing?
Or, why did people need writing?
Writing came to Japan around the transition from the Jomon period to the Yayoi period, from around the 3rd century BC to the 1st century AD. There are no signs of any large battles occurring during the Jomon period, and it was a very peaceful and stable period that continued for over 15,000 years. Signs of battles begin to appear around the Yayoi period, when a ruling system to create a country began and tribes began to fight one another.
The appearance of writing seems to have facilitated the appearance and forming of nations (cities and empires), the uniting of people by ranking them into classes, and the exploitation of humans. What was the background to this dramatic change? In order to confront this simple question, I use place names and ruins that remain in various locations, walk the area myself, look with my own eyes, observe, and think. Then I use my hands to create some kind of shape. That shape is something you could call a hypothesis, or you could call it an artwork.
In this exhibition, Shimizu will present a two-part installation based on his ongoing research and exploration of the topography, flora, and fauna of the Izu Peninsula since 2020, which will also explore the merits and demerits of the invention of letters or the people before letters. It will inspect the "form" behind the letters and languages used in daily life.
The first part, "re-habilis," is built around Shimizu's experience of his transformation during his three-month Kamiyama Artist-in-Residence program last year, during which he explored the mountains of the Tsurugi-san range and created works during his stay, and is interwoven with a consideration of the Ama-no-Iwato story in the Kiki mythology.
The second part, "a practitioner," which will begin in the fall, will expand on the content of the first part and combine it with Shimizu's ongoing research and exploration of the topography, flora, and fauna of the Izu Peninsula, which he has been conducting since 2020, will utilize the following as clues: the landscapes of the Izu Peninsula, historical sites, myths and legends, and place names such as Kamo and Naga. Then, he will combine various forms of expression, such as video, voice, structures, stones, collected objects, light, heat, magnetic fields, thermal environment changes, etc., and will develop an installation based on the magical elements of texts.

作品1:

サイレント・ダイアローグ
改装中の合板仕上げの展示室壁面の左右に、ホログラムファンによって浮かび上がった役行者と弘法大師の像が向かい合うように配置されている。
中空に浮かぶ2人の像をよく見ると、何かを話しているように見えるが声は聞こえない。
ふたりが対話しているようにも見えるし、鑑賞者に向かって双方から何かを伝えようとしているようにも見える。
作家の徳島山中での踏査において、剣山の麓の劔山本宮劔神社、高越山奥ノ院、気延山山頂の祠をはじめ、重要な史跡には必ずといっていいほど役行者と弘法大師の石像が祀られていたことから着想して制作した作品。彼らは何かを伝えようとしているのか、あるいは何かを隠そうとしているのか。その答えは訪問者(鑑賞者)の目にゆだねられている。
作品2:

strokes
音声と文字とはそのまま真理を表すとする考え方を述べた弘法大師の言語論『声字実相義』。
声字実相義に書かれた文字を解体し、キャンバスに絵具を刷り込む、投げ込む行為を通して、平面上での再構成に試みている。
作品3:

何由以(などて)
古事記原文から引用された文字の光がギャラリーの中庭を照らしている。
「何由以、天宇受賣者爲樂、亦八百萬神諸咲。」は天岩戸の段にて、天岩戸に籠った天照大御神(アマテラス)が、岩戸の外で天宇受賣命(アメノウズメ)が裸で踊り、大笑いしている八百万の神々に対して問いかけた台詞。
天照大御神の「私が隠れたことによって、高天原は真っ暗で、蘆原中国(あしはらのなかつくに)も全て真っ暗なはずなのに、どうして天宇受賣命(アメノウズメ)は楽しそうに踊り、八百万の神は皆笑っているのですか?」というセリフからは、外的自己と内的自己との間で揺れ動く心境を読み取ることができる。内と外で揺れ動く心境・状態が、中庭(外部)からギャラリー(内部)を照らす人工的なネオンの光によって表現されている。
『古事記』は712年に編纂された現存する日本最古の書物とされる。原文は、表意文字たる漢字と表音文字として日本が開発した万葉仮名の両方を混合させた変体漢文で綴られており、大陸から伝わったとされる漢字が日本に取り込まれる過程(日本という国が成立していく過程における内と外という関係性)の表れとも解釈でき、非常に興味深い。
作品4:

波波迦木(ははかのき)
波波迦(ははか)の木はウワミズザクラ(上不見桜・上溝桜)の古名で、神話で占いに使われた非常に堅い材でもあった。「波波」の古名が象徴するように樹皮の凹凸が特徴的で、古事記の天岩戸の段に描かれる。
天岩戸に隠れてしまった天照大御神(アマテラス)をどのようにして外に出すか、八百万の神々は天安河(あまのやすかわ)に集まり思案する。そして、天兒屋命(アメノコヤネ)と布刀玉命(アメノフトダマ)を呼んで天の香具山の雄鹿の肩骨を抜き、天の香具山の波波迦の木を取ってその雄鹿の肩骨を燒いて占った、とある。
※ 天兒屋命と布刀玉命は古代祭祀を担当した二柱で、後の中臣氏と忌部氏。
作品5:

中庭の霧
会期中不定期に霧が発生する。5メートル四方の囲まれた中庭に射す光や風の流れが可視化され、刻々と変化する空気の状態と、ネオンによる文字の光や波波迦の木、室内に配置された複数の作品群との緩やかな関係性を暗示するかのように、立ち現れては消えてゆく。
作品6:

あなたの喜びは私の嫉妬
古代において、鹿の肩甲骨は「太占(ふとまに)」という卜占に用いられた。
雄鹿の肩甲骨を波波迦(ははか)の樹皮で焼き,その骨の表面に現れる割れ目の模様で吉凶を判断したという。大陸から亀の甲羅を使った亀卜が伝わってからは、宮中関連の卜占は太占から亀卜へと代わっていったとされる。
ここでは、古代における卜占「太占」を参照しつつ、現代社会を揶揄するかのように、鹿の肩甲骨には「あなたの喜びは私の嫉妬」と刻まれている。
作品7:

うちはそと、そとはうち
「う」「ち」「は」「そ」「と」、「そ」「と」「は」「う」「ち」と一文字ずつ手書きのひらがなが投影されている。
壁面に投影される手書きのひらがなは、ゆっくりと一定の間隔で「カシャン、カシャン」と響くスライドプロジェクターの音と相まって、内と外、内的自己と外的自己の関係性を暗示するかのように移り変わっていく。
作品8:

カジノキ
カジノキはクワ科コウゾ属の落葉高木で、「神に捧げる木」として神社の境内に植えられたり、七夕の飾り(短冊)として宮中で使われたりと神事との関連が深い。樹皮を和紙、縄、布等の材料とするため日本へ渡来し、各地で栽培されていたものが野生化したとされている。漢字表記は梶のほかに楮、溝、殻など。
『古事記』の天岩戸の段にも、「天の香具山の茂った賢木を根こそぎ掘り採り、上の枝に大きな勾玉の玉飾りを、中の枝に大きな鏡をかけ、下の枝にはカジノキでつくった白和幣(白い布)と麻でつくった青和幣(青い布)を垂らした」という表現がでてくる。
斎部広成が平安時代に編纂した歴史書『古語拾遺』には、伊勢国の麻続(をみ)を祖とする長白羽神(ナガシラハノカミ)が麻を植えて青和幣を、阿波忌部氏の祖とされる天日鷲神(アメノヒワシ)と津咋見神(ツクヒミノカミ)がカジノキを植えて白和幣を作ったとある。また同書には、阿波忌部の一部は天富命(アメノトミノミコト)に率いられ東国(関東)に入植し麻・榖を植え、榖が実った地は結城郡(茨城県結城市)、麻が良く実った地は総国(上総・下総)、安房忌部の居る所は安房郡(安房国)となり、太玉命(アメノフトタマ)を祀る安房社を建てたとある。
現在ではカジノキは、中南部以西の本州、四国及び九州に分布するほか、伊豆七島でも見かけることができる。海外でも東南アジアやイースター島にかけた地域に広く見られる。
作品9:

辰砂
辰砂は硫化水銀、つまり水銀と硫黄の化合物である鉱物で、水銀朱は古墳時代前期などに古墳の埋葬主体に大量に使用された。最も特徴的な点は、その鮮やかな朱色で、この色合いが古代から多くの文化で価値あるものとされ、古くから錬丹術などでの水銀の精製の他に、赤色(朱色)の顔料や漢方薬の原料として珍重されてきた。
日本における辰砂採掘と水銀の利用は弥生時代から平安時代にかけて発達し、西日本では多くの鉱山が開発された。顔料としての硫化水銀は朱または丹と呼ばれ、貴重な赤色顔料だった。高松塚古墳の彩画の赤は、水銀朱によるものである。日本には古くから水銀鉱山が多く、歴史のある鉱山は和歌山、奈良および四国などの中央構造線沿いに多い。
徳島県阿南市にある若杉山辰砂採掘遺跡は、弥生時代後期から古墳時代前期にかけて辰砂の採掘を行っていた遺跡全国的にみても辰砂を採掘する最古の遺跡で、石杵や石臼などの石器を用いてこれを朱に加工する工程を若杉山遺跡で行っていたことが近年の発掘調査で分かった。産出した水銀朱も各地の古墳築造時に運び出されていったものと想定されている。
作品10:

神神の微笑
大きな平板の上に砂鉄を施された文字が並んでいる。
書かれている文章は、芥川龍之介の短編小説『神神の微笑』にでてくる天岩戸神話のシーンを引用したもの。『神神の微笑』は、宣教師・オルガンティーノが記紀神話の神から、「外国から伝来した文化を元に、独自の文化を作り上げる」日本人の特性を学ぶというあらすじで、いわば「日本人論」をモチーフにした作品である。明治以降の近代日本が西洋化してゆく局面において、外的自己と内的自己の間で揺れ動く国体と、作家の内面性が重ねられたようにも読み取れる文体は、震災以降の現代社会のぼんやりとした不安が漂う空気感の根源を紐解く鍵のようなものを垣間見ることができる。
平板に置かれた荒い金箔が施された石膏球は、国旗の金玉が意味する記紀神話における神武東征の際に道案内をした八咫烏(ヤタガラス)を表している。
また作品に用いられた大量の砂鉄は、古代から近世にかけて発展したたたら製鉄で用いられる砂鉄から着想しており、縄文から弥生期への移行期における製鉄技術は、米をはじめとする狩猟から灌漑への転換と同様に、国家形成へと向かう要因のひとつ、つまり人が文字を持つようになったきっかけのひとつではないかという作家の考察に基づいて用いられている。
作品11:

カンナビス
麻は成長力が強く短期間でまっすぐに成長し、引張強度では綿や絹の二倍、羊毛の三倍の強さがあるだけでなく、海水につけても切れにくいという耐水性ももっており、繊維を撚(よ)ること、そして編むこと、結ぶことといった技術で変幻自在の強さを発揮する。「麻中之蓬(まちゅうのよもぎ)」という言葉があるように、まっすぐに伸びる麻の中に生えれば、曲がりやすい蓬も影響を受けてまっすぐに伸びることから、良い環境の中では悪しきものも正されるという周囲におよぼす強い影響力は、古代から信仰の対象となった。国づくりを始めた女王がこの大麻の覚醒作用と呪術性を使って、人々の幸せを願い、政(まつりごと)をしていたとされる。
神社神道で用いられる麻とは、大麻草の茎から表皮を剥いで、熟練の技術で研ぎ澄ました黄金色の「精麻」のことを指す。精麻は古より、「海水でも祓いきれない穢れを祓う」特別な祓い清めの道具として、神と人間とを取り結ぶ場面に必ず使われてきた。神域と現世とを隔てる境界線となる注連縄は、元々は大麻である。神主がお祓いで使う白いハタキのような道具は「大麻(おおぬさ)」と呼ばれ、和紙と大麻でできている。
皇位継承の儀式である「大嘗祭(だいじょうさい)」において、もっとも重要な「麁服(あたらえ)」という巻物のように長い一枚の大麻の織物が祀られる。大麻の麁服は、どこの地方の誰が作ったものでもよいわけではなく、朝廷が指定するのは、阿波忌部氏の麁服でなければならない。阿波忌部は、大和朝廷の祭祀を司った古い氏族であり、農業を中心とした産業技術を持つ職人を引き連れた集団で、日本全国に散って大麻を普及させたことでも知られている。
また、三輪山のようななだらかな円錐形の山は「神奈備山(かんなびさん)」と呼ばれ、神の隠れこもれる山とされ古代から信仰の対象として祭られてた。麻はギリシャ語では「κάνναβις(kánnavis)」となる。「カンナビス」と「カンナビサン」、この類似した読み音は偶然なのか、関連性があるのだろうか。
作品12:

神津島の黒曜石
黒曜石は古くは石器時代、現代のように金属やガラスが作られていなかった時代に、狩猟に使う道具の刃物や石器として利用されていた。なかでも神津島の黒曜石は火山噴火によって得られた鉱物であり、質がよく、日本各地に輸送されていたと考えられている。実際に、37500年前の沼津の遺跡から神津島の黒曜石がでたことが考古学の産地分析で分かり、世界最古の海洋航海が証明されたのは記憶に新しい。
古代の人たちは、現代の私たちが思っている以上に高度な航海技術のみならず、自然の摂理に従った深い知識と技術を持ち合わせ、私たちが失ってしまった「何か」を持ち合わせていたのかもしれない。その「何か」に想いを馳せ、想像力を働かせる第一歩は、「見る」「観察する」ことではないだろうか。
作品13:

In dreams begin the responsibilities
麻の布でできた展示室を区切るカーテンが、窓から入る自然光と、展示室奥に投影される映像の光をゆるやかに透過し、展示室の空間全体にアクセントをあたえている。
よく見ると不自然に折れ曲がったりカーブしていたりしていて、それらがアルファベットの形に加工されていることに気付く。
これらの文字群は、アイルランドの詩人W.B.イェーツの詩「In dreams begin the responsibilities」と記されている。平たく訳せば、「夢の中から責任は生ずる」。逆に言えば、想像力のないところに責任は生じないのかもしれない。
作品14:

放置された神棚
撮影・編集・音楽 : 清水玲
神山アーティスト・イン・レジデンス2023にて制作した映像作品。
招聘作家に用意される宿舎には、神棚と思われる戸棚がキッチンに設えられていた。どう見ても神棚なので日本人作家の多くは何も置くことができずに放置してしまうという。作家(清水)もまた同じように神棚と思われるその棚には何も置けないまま生活する。
滞在中に作家自身(清水)が、神山町を中心とした徳島県内各地に伝わる神話や伝承を頼りに、古い神社や遺跡、古墳、鉱山跡地などを訪ねて回るうちに「あること」に気付く。
その気づきの過程が、宿舎にある「放置された神棚」に焦点をあてて表現されている。
徳島には剣山の秘宝、平家の落人伝説、神代文字、邪馬臺国(邪馬台国)阿波説など、様々な伝承が数多くある。
不思議なことに徳島県内には、巨石そのもの、あるいは無数の青石を積んだだけの形態をした古代の祭祀・崇拝形式の遺構が数多く残り、大陸から伝来した仏教と和合しながら形成されていった神社の建築形式の変遷を辿ることができる。そしてそれら神社の多くが、平安時代に編纂された延喜式神明帳に記載されており、記紀神話に登場する神々と連続的に繋がっていて、そしてさらに全国各地の有名神社の元宮とされる神社が揃っている。
剣山系の湧水が豊富な急峻な山々に棲みついた人々と、山々の恩恵をもたらす吉野川、鮎喰川、那賀川とその支流沿いに棲みついた人々との衝突、交渉、協働。その「かたち」は、徐々に蓄積し、混ざりあい、和合しながら、ゆるやかに、ときに激しく揺さぶられながら、現在までつながっている。
作品15:

逆さ時計
ありふれた日常風景の一部のように壁面に時計がかけられているが、よく見ると時計の針は逆戻りしている。
さらによく見ると時計の針は逆戻りしているが、文字盤が左右逆になっていて、現在の時間を示している。戻りながら進んでいるように見える逆さ時計は、過去に想いを馳せながら未来に進むということを暗示している。
作品16:

掟の門
フランツ・カフカの短編小説『掟の門』の最後の一文が、窓ガラスに貼られたフィルムに手書きで書かれている。
『掟の門前』の物語は短く、いたってシンプルである。ある田舎の男が門を訪れる。門は空いているが、門番がいる。門番が言うには、この門を通ってもよいが、この先には延々と門が続き、奥にはさらに恐ろしい門番がいる。男は恐ろしくて門に入ることができない。
男は何日も何年も門の前で立ち尽くし、また門番にすがりつき、泣きついて門に入れてくれと頼みこむ。まったく動じない門番に対して、男は考える。門があるからには、誰かが入るために作られたはずだ。しかし、自分以外には誰も門に入ろうとしない。いったいこの門は何のためにあるのか?そう問い詰めると門番は言う。「この門は、お前一人のためのものだった」と。そして男は、門の前で疲れ果てて死に絶える。
ガラス面に書かれた手書きの文字は中庭に時折発生する煙と相まって、鑑賞者に「門=掟」とは何を指すのかを問いかける。
作品17:

strokes
音声と文字とはそのまま真理を表すとする考え方を述べた弘法大師の言語論『声字実相義』。
声字実相義に書かれた文字を解体し、キャンバスに絵具を刷り込む、投げ込む行為を通して、平面上での再構成に試みている。
作品18:

挿絵
昨年の11月に発売されたイギリスの週刊新聞『The Economist』(エコノミスト)の、翌年予測特集号「The World Ahead」の挿絵。世界情勢のキーパーソンや様々なトピックスが示唆的に描かれている。
私たち自身が何をすべきか、あるいは何ができるのかを思案する問いかけのように読み取ることができる。
常設展示:

伊豆大川俯瞰図
-山を歩いている時の浮かんでは消えゆく様々な思考は、刻々と表情を変えてゆく山雲と重なり、費やした身体的労力の対価によって風景という存在が現れる。距離をおいても細部を把握することができる一幅の絵画のように。-
伊豆大川ヒロ画廊でのコミッションワーク。
ギャラリーは、伊豆半島最高峰である天城山の南東麓から東側の海岸までの特徴的な急峻な地形を形づくる大川川の河口付近に位置し、企業の保養所として利用されていた3階建の施設を大規模改修された建築物で、1階がギャラリー、上階には宿泊・滞在機能をもつ。
作品は、1階のスペースと上階の宿泊・滞在スペースとをつなぐ縦動線、階段室のコの字型の壁面(長さ約13m、高さ約6m)に、伊豆大川の海岸上空から天城山系を見下ろす俯瞰図として描かれている。尾根や谷には、レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯(第7章 文字の教訓)』から引用された約3,500の文字が配置されており、鑑賞者は階段をのぼる・おりるという身体的行為を通して、文字との距離をとったりつめたりしながら読む、あるいは見ることができる。
Related URL:https://www.hirogallery.com/exhibitions/izu-auwa-ryo-shimizu-2024/
Documentation(video):https://www.youtube.com/watch?v=YaZ845o-7eY