波の始まりとアポフェニア
第二部:験を修める
Auwa, beginning of the wave and apophenia
Part II:a practitioner
Variable size
2024
(Exhibition at HIRO GALLERY IZUOKAWA)
サイズ可変
2024年
(ヒロ画廊伊豆大川での展示)
中島敦の『文字禍』に、「文字の精の悪戯」という表現がでてきます。
例えば名もなき草花に「雑草」と名付けられると、人々はたちまちその草花を駆除すべき存在としてしか見えなくなってしまうように、文字には人間を操り、禍をもたらす力があるのではないでしょうか。しかし山に入ってそこで生息する草花をよく観察してみると、それらそれぞれに特性があり、生態系を維持する役割や関係性を担っていることに気付かされます。
私は、「風景を見るという行為は、文字の精の悪戯による囚われを解き放つ」という仮説をたて、伊豆半島や四国を中心に各地を訪ねて歩き、地形や地域信仰に関する調査・踏査を行いながら、風景(あるいは文字)を見ること・読むことの原初的な意味とその可能性を示唆する作品を制作しています。
ここでいう作品とは、形をもつ自律したものに限らず、石や植物そのもの、日用品、光や風、音、空気の温度、言葉、声といった、作品とも呼べないような控えめで弱くはかない存在を含みます。これらが展示する場所の特徴に寄り添いながら配置されるとき、個々の作品群は互いに結びつき、交感しながらあらたな「何か」が立ち上がってきます。その意味で配置された作品群は、私自身が各地を歩き、観察し、学び、手を動かした痕跡を追体験できるような舞台装置、あるいは作品でありながら作品という枠から外れた、ある種の「依代」のような存在と言えるかもしれません。
今回の第二部「験を修める」では、私の約4年間にわたる伊豆半島と四国を巡る旅路を主軸にして展覧会が組み立てられています。「験」という字は本来「驗」と表記し、「僉」は二人並んで神に祈祷し神意を験す形であり、「験」には、結果が形にあらわれる、修行の効果、縁起や前兆といった意味を含みます。
私の両親がかつて中伊豆に住んでいたという個人的な出来事を起点に、1958年(昭和33年)の「狩野川台風」、3,200年前に天城山脈で起こった「カワゴ平噴火」を手掛かりにした伊豆半島の地形の成り立ちを辿る壮大な旅路は、ものづくりに関わる古代のある氏族の存在へとつながっていきます。
この宿命的な仕合わせをめぐる(アポフェニア的な)旅路は、「見る」「観察する」という美術鑑賞の基本行為に立ち返り、私たちの無意識に潜む信仰の始原(波のはじまり)に目を向け、文字と言葉、言葉と物、「コト」と「モノ」の関係性を探る旅と言えるかもしれません。
会場内に配置された16の作品は、記紀神話における天岩戸の段に関する考察もとに展開した第一部「re-habilis」でのいくつかの作品を引き継ぎ、私の代表的な過去作品も交えながら組み立てられており、それらが互いに共鳴しあい、空間全体をひとつの作品として体感できるような構成となっています。
伊豆半島の歴史や文化を独自の視点で深く掘り下げて表現した、本展覧会限りのインスタレーションを楽しんでいただければ幸いです。
In Atsushi Nakajima's "Mojika," there is a passage expressing the mischief of the spirit of textual characters.
For example, calling a nameless flower or plant a "weed" will immediately cause people to see it as something to be exterminated. One could say that textual characters have the power to manipulate people and bring misfortune. However, taking a closer look at the plants and flowers growing in the mountains, one can see that they all have their own relationships, characteristics, and role in maintaining the ecosystem.
Shimizu hypothesizes that the act of "looking" at a landscape releases the captivity of the mischief of the spirit of textual characters, based on his daily hiking experience in the mountains of Izu, Hakone, and Yugawara. He seeks to explore the primal meaning and possibilities of seeing and reading the landscape (or perhaps textual characters) by drawing bird's eye views of the terrain he actually walks on.
In this exhibition, Shimizu will present a two-part installation based on his ongoing research and exploration of the topography, flora, and fauna of the Izu Peninsula since 2020, which will also explore the merits and demerits of the invention of letters or the people before letters. It will inspect the "form" behind the letters and languages used in daily life.
The topographical formation of the Izu Peninsula and the evolution of religious beliefs coincide with the artist's upbringing. In the background, an ancient clan involved in manufacturing can be seen. The second part of the exhibition, titled "a practitioner," is a video-based installation that combines various forms of expression, such as structures, water, stones, and changes in the thermal environment, with the theme of a grand journey through this mysterious fortune.
The exhibition title, "beginning of the wave," refers to the beginning of things, and "apophenia" refers to the perceptual action of finding regularity and relevance in seemingly unrelated information, making the entire space an experience as an artwork. Please enjoy the installation works, which are only presented in this exhibition, that delve deeply into and express the history and culture of the Izu Peninsula from a unique point of view.

- [作品01]右か左かそれとも何か
- [作品02]The text in the mirror -十字鏡-
- [作品03]走湯山俯瞰図
- [作品04]ことむけやわす
- [作品05]altering letters
- [作品06]天つ城にきらめく星のごとし
- [作品07]世界海流図のポストカード
- [作品08]神神の微笑(たたら炉の再構成)
- [作品09]thermochromic painting
- [作品10]In dreams begin the responsibilities
- [作品11]三ツ星と天狗、岩舟と五色人
- [作品12]験を修める
- [作品13]神代杉
- [作品14]カジノキの葉
- [作品15]逆さ時計
- [作品16(常設展示)]伊豆大川俯瞰図
作品1:

右か左かそれとも何か
「右」「左」と繰り返す音声指示に従い、作家の両目が繰り返し左右に動いている。
はじめは指示を聞いて目が動いているが、慣れてくると指示よりも先に目が動いたりする。また、ごくまれに起こる「まわれ右」という予期せぬ指示に対して戸惑う。
指示の音声と目の動きから、命令・指示の受容の心理的変化、「右」と「左」の間で逡巡するという政治的な意味も読み取ることができるだろう。
作品2:

The text in the mirror -十字鏡-
鏡に偏光フィルムにより切り文字が施されており、見る角度によって見え方が変化する。
左右のテキストは、「火足りて」と「左」、「水極まりて」と「右手」とあるように、「火」と「水」を使った言葉遊びのようにも見えるが、古代における陰陽思想から着想したもので、「左」と「右」に対して「上」「下」、つまり四方、八方に意識を向けることを示唆している。
作品3:

走湯山俯瞰図
2020年以降取り組み始めた地形に沿って文字が配置された俯瞰図シリーズの作品。海(初島付近)から見た走湯山(日金山・伊豆山)を中心とした熱海の山並、街並が描かれている。地形に沿って、平安時代末から鎌倉時代頃の成立と考えられている『走湯山縁起』や、伊豆山、日金山における火ノ神伝承を巡る様々な考察文献から引用されたテキストが配置されており、赤と白の色面構成と尾根に沿って荒々しく流れるように配置された文字群は、『走湯山縁起』にある「此地下赤白二龍交和して臥す(地下に赤白二匹の龍が和合し静かに休眠している)」から着想されている。
伊豆山はかつては走湯山と呼ばれ、活発な火山活動により、温泉の恵みとは対極に炎熱地獄がもたらされていた。「熱海」の地名からも知られるように、走湯山周辺にはかなりの高温の熱泉が湧出し、それに苦しめられる人々が数多くいたことがうかがえる。
走湯山は、龍を化身とする温泉の守護神「走湯権現」(伊豆権現)を祀り、炎熱地獄(高温の熱泉による苦悩)からの救済を祈願する温泉霊場であったと言われている。走湯山の基本史料とされる『走湯山縁起』には「此地下赤白二龍交和して臥す(地下に赤白二匹の龍が和合し静かに休眠している)」と記されており、「赤白二龍」のうち「赤」は高温の熱泉(火神)を、「白」は水(水神)を指し、「赤白二龍交和して臥す」とは、高温の熱泉と水が交わり、ほどよい湯加減の「温泉」が得られるという意味になり、走湯山(日金山)の神龍(赤白二龍)は火神であり、水神であったのではないかと考えられている。
作品4:

ことむけやわす
「ことむけやわす」とかたちづくられたホースのなかを水が循環している。
15分毎に作動する水流は、はじめは泡立ち振動を伴うが、徐々に安定し、次第に水が流れていることが分からないほど穏やかになっていく。
「ことむけやわす」とは「言葉で説いて人の心を和らげて穏やかにする」といった意味合いをもつ古事記にも記載がある(言向和平)大和言葉。
「言向く(ことむく)=ことばで説いて従わせる、平定する。」と「和す(やわす)=やわらげる、平和にさせる」が合わさった言葉といえる。
水流とともに「言(こと)」と「事(こと)」の間で揺れ動くその様は、彫刻化された言霊とも解釈できるだろう。
作品5:

altering letters
ギャラリーに光を指す中庭のガラス2面に、記号のような文字の群れが配置されており、床には筆画が散乱している。よく見るとそれらが英語のテキストとして読めることに気付く。
この置き換えられた漢字(換字)は、常用漢字をそのまま用いる、もしくは筆画を間引くことで、漢字がアルファベットに置き換えられている。床には間引いた筆画が散乱している。空間に配置された記号の群れが、読むことのできる文字であることに気付いた瞬間から、見ることと読むことの往来、テキストと空間の関係性を巡る対話が始まる。
ここでは、高島俊男の『漢字と日本人』から引用した文章をAIに翻訳させた英文が、置き換えられた漢字として描かれており、字面・文面ともに、何かがおかしい。中庭に指す陽の光の表情によって、その何かがおかしい状態は刻々と変化する。
作品6:

天つ城にきらめく星のごとし
カワゴ平(天城山脈)で採取した黒曜石が3つ、中庭に配置されている。
3200年前に起きたカワゴ平噴火は、伊豆半島の火山活動において最大級の噴火であった。粘り気の強い流紋岩質マグマの噴出や火砕流の発生など、伊豆東部火山群においてそれまでに無かった特徴を持っており、マダラ模様の黒曜石はカワゴ平産の黒曜石であることをよく表している。
天城山脈を歩いていると、陽の光に反射する黒曜石に出会うことがある。そんな作家の山歩きの経験から、天城山中で光る黒曜石を星の光に見立て、中庭に配置されている。3つの黒曜石の配置は、オリオン座の三ツ星をあらわしている。
古代海洋民族は夜間の星空を頼りに航海を行い、オリオン座の三ツ星は、古来より航海の目印として利用していた。航海安全の神として信仰されている住吉三神(底筒男命(ソコツツノオノミコト)、中筒男命(ナカツツノオノミコト)、表筒男命(ウワツツノオノミコト))は、三柱合わせて「上中下の三つの星」という意味を持つことから、オリオン座の三つ星の化身と考えられていた。
「筒」とは、オリオン座の古称「鼓星(ツツボシ)」の「鼓(ツツ)」、港を意味する「津(ツ)」と「津」をつなぐ意味を含み、星を表す。
作品7:

世界海流図のポストカード
はがきサイズにプリントされた世界海流図。
古代海洋民族は、高度な航海技術をもち、潮の流れを読み、広範囲にわたって交易を行っていたとされる。「国」という概念がなかった頃は、通航の制限や規制もなかったため、ある意味で現代よりも航海は安全だったという説もある。
作品8:

神神の微笑(たたら炉の再構成)
積み上げられた耐火レンガのなかで輝く玉鋼。その背後では朗読する音声に同期して光が明滅している。
初夏に開催された第一部での作品『神神の微笑』で用いた砂鉄は、たたら製鉄を経て玉鋼に、描かれた芥川龍之介の文章は朗読する音に置き換えられている。
積み上げられた耐火レンガは、たたら製鉄を試みた際に使用したものが再構成されている。
作品9:

thermochromic painting
室温の変化に応じて色面が発消色する絵画。
天候や時間帯による室内温度環境の変化にともない緩やかに発色/消色しながらその表情を変えていく。
下地面と表層面の二層で構成されており、色面は手のひらで描かれている。手の平均的な表面温度25℃前後を基準とし、通常は淡いピンク色を保っている。
表層面が10℃前後を下回ると徐々ピンク色は濃くなり、逆に下地面は40℃前後まで上昇すると青く発色し始める。
作品10:

In dreams begin the responsibilities
麻の布でできた展示室を区切るカーテンが、窓から入る自然光と、展示室奥に投影される映像の光をゆるやかに透過し、展示室の空間全体にアクセントをあたえている。
よく見ると不自然に折れ曲がったりカーブしていたりしていて、それらがアルファベットの形に加工されていることに気付く。
これらの文字群は、アイルランドの詩人W.B.イェーツの詩「In dreams begin the responsibilities」と記されている。平たく訳せば、「夢の中から責任は生ずる」。逆に言えば、想像力のないところに責任は生じないのかもしれない。
麻は成長力が強く短期間でまっすぐに成長し、引張強度では綿や絹の二倍、羊毛の三倍の強さがあるだけでなく、海水につけても切れにくいという耐水性ももっており、繊維を撚(よ)ること、そして編むこと、結ぶことといった技術で変幻自在の強さを発揮する。「麻中之蓬(まちゅうのよもぎ)」という言葉があるように、まっすぐに伸びる麻の中に生えれば、曲がりやすい蓬も影響を受けてまっすぐに伸びることから、良い環境の中では悪しきものも正されるという周囲におよぼす強い影響力は、古代から信仰の対象となった。国づくりを始めた女王がこの大麻の覚醒作用と呪術性を使って、人々の幸せを願い、政(まつりごと)をしていたとされる。
神社神道で用いられる麻とは、大麻草の茎から表皮を剥いで、熟練の技術で研ぎ澄ました黄金色の「精麻」のことを指す。精麻は古より、「海水でも祓いきれない穢れを祓う」特別な祓い清めの道具として、神と人間とを取り結ぶ場面に必ず使われてきた。神域と現世とを隔てる境界線となる注連縄は、元々は大麻である。神主がお祓いで使う白いハタキのような道具は「大麻(おおぬさ)」と呼ばれ、和紙と大麻でできている。
皇位継承の儀式である「大嘗祭(だいじょうさい)」において、もっとも重要な「麁服(あたらえ)」という巻物のように長い一枚の大麻の織物が祀られる。大麻の麁服は、どこの地方の誰が作ったものでもよいわけではなく、朝廷が指定するのは、阿波忌部氏の麁服でなければならない。阿波忌部は、大和朝廷の祭祀を司った古い氏族であり、農業を中心とした産業技術を持つ職人を引き連れた集団で、日本全国に散って大麻を普及させたことでも知られている。
作品11:

三ツ星と天狗、岩舟と五色人
壁に穴が3つ、白木の柱には天狗の木彫面がかけられ、正方形の鏡の土台には五色の砂利が盛られた丸石が置かれている。
3つの穴はオリオン座の三ツ星を、天狗は流れ星を、鏡の土台と丸石は、海原に浮かぶ舟に見立てられている。
元々「天狗」という語は、中国において凶事を知らせる流星を意味するものだった。明朝の頃から天狗が日食や月食を起こすという「天狗食日食月信仰」が登場する。『日本書紀』にも、雷のような轟音を立てて東から西へ流れる巨大な星が「天狗(アマツキツネ)」として描かれている。やがて天狗は、山岳信仰と習合し、山地を異界として畏怖し、そこで起きる怪異な現象を天狗の仕業とされるようになった。
今日、一般的に伝えられる、鼻が高く(長く)赤ら顔、山伏の装束に身を包み、一本歯の高下駄を履き、羽団扇を持って自在に空を飛び悪巧みをするといった性質は、近世以降に解釈されるようになったものである。記紀における天孫降臨の際に案内役を務めた猿田毘古神(サルタヒコ)は、背が高く長い鼻を持つ容姿の描写から一般に天狗のイメージと混同される。天岩戸を開けたとされる天手力男命(アメノタジカラオ)もまた、その力強く雄壮な描写から、山岳信仰と結びついた天狗のイメージが重ねられる。
丸石に盛られた5色の砂利は、神津島の阿波命神社に残る「潮花」とよばれる大漁の祈願や船出の安全を祈る風習から着想したもので、海流に乗って世界各地を公開していた古代の海洋民族に思いを馳せたもの。正方形の鏡の土台は東西南北にあわせた配置になっている。
作品12:

験を修める
3200年前に起きたカワゴ平噴火は、伊豆半島の火山活動において最大級の噴火であった。その火砕流が作り出した独特の見かけをした地形は、1958年の狩野川台風の際に集中豪雨に襲われ、大量の土砂が流出して狩野川が氾濫。伊豆地方だけで1,000人を超す死者を出す大災害となった。中伊豆町の観光資源であった白岩温泉の源泉も狩野川の氾濫により流失荒廃した。復興事業によって再湧出された白岩温泉は、中伊豆温泉病院の誘致に繋った。
作家(清水)は、父親がかつて中伊豆温泉病院に勤務していたことを知り、宿命的な巡り合わせを感じて伊豆の各地を巡る。
伊豆半島の地形の成り立ちと信仰のかたちの変遷は、奇しくも作家の生い立ちと重なり、この不思議な仕合わせを巡る壮大な旅路は、ものづくりに関わる古代のある氏族の存在へとつながっていく。
作品13:

神代杉
カワゴ平噴火における火砕流堆積物の中には、火砕流に巻き込まれ、腐らずに半化石化した天城神代杉・神代ヒノキと呼ばれる巨木が丸ごと含まれていることもあり、重宝されてきた。火砕流の末端に近い旧中伊豆町の筏場地区周辺は、日本有数の神代杉の産地であった。
神代杉は第2次世界大戦以前に家具や建築用材として盛んに発掘された。大きいものでは太さは、四間 (7.2m) とも七関 (10.8m) とも言われており、かつて発掘作業に携わったことのある老人によると、神代杉の上で 10人もの男衆が酒を飲んで大騒ぎをしたという。当時筏場あたりには神代杉を掘る親方が数人おり、この親方のもとには近くの村人や炭坑にいたことのある穴掘りの名人などが働き、年に1本から2本探しあてることができれば十分生活できたという。現在も筏場地区の蛇喰山(じゃばみやま)には神代杉を掘り起こした穴が多く残っている。
1958年の狩野川台風では、この穴に筏場川からあふれた土石流が流れ込み、蛇喰山は真っ二つに割れ、山頂は崩れ落ちた。崩れ落ちた土砂は、流水によって下流へと流されていった。
作品14:

カジノキの葉
第一部で展示したカジノキの葉を押し花にしたもの。自宅の庭に地植えしたカジノキはすでに2メートルを越す高さになっている。
カジノキはクワ科コウゾ属の落葉高木で、「神に捧げる木」として神社の境内に植えられたり、七夕の飾り(短冊)として宮中で使われたりと神事との関連が深い。樹皮を和紙、縄、布等の材料とするため日本へ渡来し、各地で栽培されていたものが野生化したとされている。漢字表記は梶のほかに楮、溝、殻など。
『古事記』の天岩戸の段にも、「天の香具山の茂った賢木を根こそぎ掘り採り、上の枝に大きな勾玉の玉飾りを、中の枝に大きな鏡をかけ、下の枝にはカジノキでつくった白和幣(白い布)と麻でつくった青和幣(青い布)を垂らした」という表現がでてくる。
斎部広成が平安時代に編纂した歴史書『古語拾遺』には、伊勢国の麻続(をみ)を祖とする長白羽神(ナガシラハノカミ)が麻を植えて青和幣を、阿波忌部氏の祖とされる天日鷲神(アメノヒワシ)と津咋見神(ツクヒミノカミ)がカジノキを植えて白和幣を作ったとある。また同書には、阿波忌部の一部は天富命(アメノトミノミコト)に率いられ東国(関東)に入植し麻・榖を植え、榖が実った地は結城郡(茨城県結城市)、麻が良く実った地は総国(上総・下総)、安房忌部の居る所は安房郡(安房国)となり、布刀玉命(アメノフトタマ)を祀る安房社を建てたとある。
作品15:

逆さ時計
ありふれた日常風景の一部のように壁面に時計がかけられているが、よく見ると時計の針は逆戻りしている。
さらによく見ると時計の針は逆戻りしているが、文字盤が左右逆になっていて、現在の時間を示している。戻りながら進んでいるように見える逆さ時計は、過去に想いを馳せながら未来に進むということを暗示している。
常設展示:

伊豆大川俯瞰図
-山を歩いている時の浮かんでは消えゆく様々な思考は、刻々と表情を変えてゆく山雲と重なり、費やした身体的労力の対価によって風景という存在が現れる。距離をおいても細部を把握することができる一幅の絵画のように。-
伊豆大川ヒロ画廊でのコミッションワーク。
ギャラリーは、伊豆半島最高峰である天城山の南東麓から東側の海岸までの特徴的な急峻な地形を形づくる大川川の河口付近に位置し、企業の保養所として利用されていた3階建の施設を大規模改修された建築物で、1階がギャラリー、上階には宿泊・滞在機能をもつ。
作品は、1階のスペースと上階の宿泊・滞在スペースとをつなぐ縦動線、階段室のコの字型の壁面(長さ約13m、高さ約6m)に、伊豆大川の海岸上空から天城山系を見下ろす俯瞰図として描かれている。尾根や谷には、レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯(第7章 文字の教訓)』から引用された約3,500の文字が配置されており、鑑賞者は階段をのぼる・おりるという身体的行為を通して、文字との距離をとったりつめたりしながら読む、あるいは見ることができる。
Related URL:https://www.hirogallery.com/exhibitions/izu-auwa-ii-ryo-shimizu-2024/
Documentation(video):https://www.youtube.com/watch?v=Ed2q50D_G2Q